2014年9月9日火曜日

配慮を「サボる」こと

飛行機の中の、雑感メモ。

最近立て続けに、気に入りのピアスが壊れ、わざわざ取り寄せて買ったネックレスが
切れてしまった。大切に想っていたはずなのに。
乱暴な使い方はしていなかったはず。でも、特別に丁寧に扱っていたのかというと、
そうではなかったのかもしれない。


私は子どもの頃から大雑把な性格で、よく所作が雑だと苦笑される。
雑であることにまったく胸を張れないけど、問題だと意識したことは正直なかった。
気をつけようという意識が隅々まで行き届かなかったり、途中で他のことにあちこち意識が向いたり、集中力を欠いてしまう。
自分が困ることはあってもそんなに迷惑をかけることはないだろうと思いがちだった。
でも、自覚していなければならなかったんだ。
人は、無防備でいても鋭利な部分があり、注意力を欠くとただ触れたただけで誰かを傷つけてしまう可能性があるということを。
私は特別善い人間でもないけど、悪人でもない。
じゃあ悪意をもって攻撃しなければ、誰も傷つけないでいられる?
残念ながらそうじゃないことに、ようやく気がついた。
悪意はなくとも、注意を怠るということも、同じように傷つけてしまうんだね。
知っておかなきゃいけない。忘れてはいけない。
私はニコニコしながらいろんなことを「サボって」いたんだ。
痛みを知っているやさしく強いひとたちは、そんな私のことも、
悪意はないから仕方ないねと、許してくれていた。

自分のギターもよく不注意でぶつけてしまう。指摘されて気がついた。私は、私のギターを世界でひとつの大事な楽器だと想っているけど、周りからみたら、私がそう想っているようには、見えなかったかもしれない。誰かからの借りものだったら、もっと丁寧に扱っているだろう。それが自分のものであって、なくなるようなことを想像もしていないし、万一なくなっても悲しむのは自分だけ、という意識がどこかにあるから。

 また、そうやって私自身のことも雑に扱うことが、私のことを大切に思ってくれているひとを雑に扱ってしまうことにつながるなんて思ったことがなかった。私なんかを特別に想ってくれるなんて、なにかの気まぐれや、不思議なことのように思っていて、もちろん感謝や、期待に応えたいという気持ちはあったけれど、私が悲しいと悲しんでくれるような、 もっと自然と心を重ねてくれていることがあると、そしてそれはとても貴いものだと、ようやく気付いたのだった。
 大事なひとが悲しんでいたら、悲しい。喜んでいたら、嬉しい。それは当たり前によく想うことなのに、逆の視点となると、途端に想像力を欠いてしまっていたんだなあ。

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