"love is touching souls"

自分にとっての特別な曲というのはいくつかあるけれど、Bonnie Raittの「I can't make you love me」もそのひとつ。よくカバーもしている。
それをきっかけに、友達も留学中のイギリスの部屋でこのDepressingな曲をしばしば聴いていたらしい。笑 そんな彼女のふとした一言。
「あなたは私を愛さなかった —”私の思う方法では。” かもしれないね」


目から鱗、じゃないけど、何かが心からポロポロとはがれ落ちていったような気がした。
ああ、私はいつも自分のことしかみえてなかったのだなと思った。
いつも、特別になりたかった。誰かの欠落した部分にぴったりはまるピースである、というようなことに憧れていた。
その憧れから、とくに学生の頃なんて、妙に切迫した感じで、心に飢餓感を持って「魂に触れたい」と願っていた。さらにいえば相手にそういう意思がないとがっかりしたりしていた。でも本当は誰もが、それぞれのやり方で、大事に思ってくれていたのだと今は思う。

「愛されることばかり考えているな」とある人が言った。
愛されるとはなんだろう?どうやって愛する?どうやって伝える?
何度も読んだことがあるはずの、好きな曲の詩の一部が突然飛び込んできた。
”love is touching souls”
切迫感のある願いとは違う意味をもって。
確かなものがひとつもない、この先につながっているものがひとつもない、
それでもあのひとは私の魂に触れた。本人がそう意図してもしなくても、
触れられた、と私は感じた。私は感動した。それを愛と思ってもいいのかもしれない、と思った。
でも、もうひとつ肝心なことは、"soul"でなく"souls"であること。
いまはまだ、誰かから溢れ出して注がれたものに、ひとりで酔っているだけだ。
私は日々、感動したい、と思って生きているのかもしれない。感動を欲して生きている。
生活をして、本を読み、恋をし、映画を観て、音楽を聴き、人と会話し、曲を書き、歌う。触れたい、響き合いたい。重なりたい。ほんのすこしでも。
「touching souls」な瞬間を生み出したい。それを音楽で出来たら幸せ。

それにしても、
生きていることそのものがドラマティックで感動的で、
まるですべてが誰かのためであるようなそんな人間に、
どこまでも憧れ続けているということに気付かされる日々です。
I remember that time you told me you said
"Love is touching souls" 
Surely you touched mine 
'Cause part of you pours out of me 
In these lines from time to time 
Oh, you're in my blood like holy wine 
You taste so bitter and so sweet 

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