trial & error

あっという間に6月が過ぎていく。

17日はピアニスト飯倉信さんとデュオ@水道橋東京倶楽部
(目がキュピーン)

そして22日は久々のぎゃるばん(通称)ライブ@大久保Dolce Vitaでした。
(当日は写真撮り損ねたの練習風景)

ご来場の皆さま、ありがとうございました!
相変わらず人気のぎゃるばん。みんな素敵☆

22日はお客さまがオリジナルも聴きたかった、と言ってくださってたので
急きょサプライズでお店のギターを借りて1曲弾き語りも。オリジナルやるとがらっと
空気が変わったのが面白かった。
6月後半はジャズやスタンダードやカバー系のライブが続いたのでした。


最近はなんでもやってみたいお年頃。
嬉しい再会があったり、縁やタイミングというものを感じます。
いろいろトライをしてみているので、真夏の頃には何かしら成果を出したいな。
ぶれているようで、そんなことの繰り返しの先にぶれない自分が出来上がっていたら良い。
失敗も恐れずに重ねていこうね。きっと0よりいいはず。
へこみ過ぎたり、逆に調子に乗りやすいことには気をつけないとね。笑


以下は余談です。

22日の夜ライブしている頃、首相官邸前ではこれまでで最大規模のデモが行われていた。
デモのことは、ずっと気になっていながら、足を運べないでいた。
今回はじめて報道ステーションでも報道されたけど、
私の友人にはずっと積極的に原発に対して行動してきている人が多いので、
彼らのつぶやきをずっとみてきたから、それが突然のデモではないことを、彼らのおかげで
知ることができていた。震災の直後から、ツイッターではいろんな情報が飛び交って、
私の友達には本当に真剣に警鐘を鳴らすひとも多くいたし、不安を煽るなと諌める人もまた多くいて。私はそれをただただ見ていた。
どこで誰がどういうソースに基づいて発言したかわからないこともたくさんあったけど、
たとえ結果的に考えすぎだろうと勘違いであろうとも
確かに自分の友達であるひとが、私を含めた友達や家族を心から心配して
発言していることならば、それはどんなメディアからの情報よりも
ちゃんとひとつひとつ耳を傾けたいと思った。
彼らはたくさん怒られたりしてきただろうけど、私は伝え続けてくれてありがとうと思っていて、
意味がちゃんとあったんだよと伝えたいと思う。(まだ何も終わってないけど)

さらに余談だけど一方で、こないだMintの奥野さんがつぶやいていたけど、彼より下の世代が
社会のことについてあまり発言していないことから意識が低いのではないかと、
ミュージシャンという立場ならばなおさらそれはどうなんだろう、と気にかけていた。
私自身のことを棚上げしていえば、実際に関心が低いひともいるだろうし、
発言していなくても行動してるひともいると思う。あえて発言しない選択をしてるひとも。
でもいずれにしても、有名人でなくても誰しもが自分の発言を発信できるようになった今では、できることが大きく変わって、発信しないということによってまた何かを判断されることもあるのだなと思った。もちろん、ひとつの例です。ツールをどう使うかもそれぞれの考え方があると思うし。また他の面で体現できていたらどう思われても構わないだろうし、体現できてないからその通りです耳が痛いですって面もある。私は、原発都民投票署名の受任者をやったりはしたけど基本的に傍観してきました。(ちなみにこれ否決されましたね…)

私は自分の音楽を聴きにくるお客さんにリラックスしててほしいし、くだらないことをいっぱいつぶやいていたいし、今後も何か発言はしていくかは考え中だけど、それを自分への言い訳として傍観を許してるところが完璧にないとは言えない。(発言しない=傍観 とは思ってはいないよ)
音楽の面では、発言の有無どうこう、意識の方向関係なく、どんな考え方にせよ、同じ時代を生きている実感がなくふわふわとしていて誰かを感動させられるほど簡単でないのは確かだと思う。一生懸命生きていかなくちゃ。


やっと書くけど原発には反対です。今回の震災は、もし原発がなかったらどうなっていたか
を思うと、状況はまったく違っていると思うから。過去は変えられないけれど。
私は食に関する仕事にも関わりを持っていて、
事故直後の生産者と、消費者の声と、食べ物の検査数値も見ていて、とても悲しくなった。
親しい人と話していて、簡単に反原発といっても、原発をやめる代わりのいろんな弊害はどうするのか?というテーマをふられて考えてみたんだけど、まず第一に私自身もっともっと勉強していかなくちゃいけないことを前提に、その弊害というものが本当にどれくらいあるのかも、何が真実なのか正直判断できない。
信ぴょう性のない情報を元に、まだ意見や姿勢を譲歩しなくてもいいのではと思った。
声をあげることが信ぴょう性の高い情報を引き出して、本当に弊害があるならば乗り越えたい。

ここまで書いてみたけど、とにかく私はあらゆることに勉強不足、
29日金曜は、私も行って見て来ようと思います。行ったらまた思ってることも変わるかも。
私、この件に関わらず、もっとしっかり生きなくっちゃと気付かされる日々です。

最近、親しい人と、会ったら一つは政治や社会に関するトピックで会話交換しようっていう
ことを持ちかけてくれて。直接話すって、裏側まである程度勉強しないと話せないから、
だめ人間なのを露呈したくないというちっちゃい心も手伝って、とてもいいきっかけに
なってくれています。これおすすめです!
そんなこともあって今日は思い立って書いてみました。

コメント

  1. ブログを読ませて頂きました。震災から一年と少し、keiさんと同じように悩み、もがきながらもどうしてよいかわからずに傍観している人達はたくさんいると思います。今の「若い」と言われる世代は安定の日本に生まれてきたせいもあってか、ひどく臆病で控えめです。それと同時に何かを変えるという術を知らないのだと思います(自分を含めて)。言い訳にしかならないけど、それがわかっているからこそ悩んでいるのかもしれませんね。SNSが普及し始めたここ日本でも、それを活用できない人々も沢山います。情報の少なさは行動にも影響しますね。なにより真実がどこにあるのかが、誰にもわからないような気がします。テレビに映る政治家やコメンテーター、どれも本当のことのように聞こえるし、その一方で彼らの既得損益をも匂わせます。原発は反対だ、だけど電気が足りない、生活への支障、彼らの国民に対しての投げ掛けは一種の強迫のようにも感じられます。しかし、どこまでが真実であるかが誰にもわからない。時間をかけて、ゆっくりと浸食していく様は、国民の希望の芽を確実に刈り取っていくようです。

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